長嶺敬彦
Takahiko Nagamine, MD, PhD.
精神機能と身体機能は密接に関連します.社会文化的な次元から,分子生物学的な次元まで,さまざまな切り口から脳機能の不思議さにアプローチしています.従来の精神薬理学の常識に縛られるない新たな知を探索しています.
[目的] 現代社会の枠組みの中で,ヒトの脳機能を考える.
[業務] 各種講演活動,精神薬理学研究,研究方法のアドバイスとサポート,共同研究.
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Review 【国際誌査読実績】
神経回路の探索-専門分化した脳細胞の機能を生かすには抑制系が大切-
Inhibitory system of the brain plays an essential role in the higher functions of special brain cells.
脳は不思議ですね。脳はさまざまな情報を並列分散処理(注釈1)していますが、汎用性のある機能と、高度に分化した機能が併存しています。後者の一つが顔細胞(face cells)ではないでしょうか。側頭葉視覚連合野の神経細胞の一部は、ヒトの顔だけに鋭敏に反応し顔細胞と呼ばれます。しかしこの顔細胞には意外な盲点があり、サッチャー錯視(Thatcher illlusion)といわれる「倒立顔効果」がみられます。見覚えのある顔を逆さまにすると、突然、その認識が困難になるのです。顔細胞は、「倒立顔」を見た時、顔であるという情報は処理できますが、個体や表情についての情報処理が困難になります。もちろん社会生活でヒトの顔が逆さになっている場面はほとんどないので、顔細胞が「倒立顔」に弱いのは当然かもしれません。最近の研究によれば、チンパンジーは「倒立顔効果」より「倒立尻効果」が強いそうです。ヒトは、尻をさかさまに提示されても、その違いを簡単に認識します。しかし「倒立顔」の場合は、細かな特徴を言えなくなります。ところがチンパンジーはその逆で、尻をさかさまに提示されると識別が困難になる「倒立尻効果」を認めるそうです。つまりチンパンジーは、逆さまの顔より逆さまの尻を認識するのが苦手だそうです[1]。そこで研究者の間では、チンパンジーは個体識別に「尻」を用いているのではないかと推測されています。
ではこのヒトでの「倒立顔効果」はどのようなメカニズムが考えられるのでしょうか。ヒトの場合、顔認知機能は、ほかの物体認知機能とは独立して、前述した側頭葉視覚連合野の顔細胞が担っています。「正立顔」を認知する場合、顔細胞が活発に反応し、その周辺にある物体認識の細胞が抑制されます[2]。しかし「倒立顔」を見たときは、この抑制が行われず、顔も物体と同じような認識過程になると考えられています。つまり、顔認識に不要な部位を抑制して、必要な部位だけを活動させることで、顔を個体識別の重要な部位としてコミュニケーションをとっているのがヒトではないでしょうか。脳は情報を並列分散処理しながらも、特別な情報と判断すると特定の細胞を際立たせるために、まわりの細胞を抑制するという手法を用いているのかもしれません。
ここで注目すべきは、抑制系の存在です。情報を際立たせるには、他の細胞を抑制することが重要です。顔認知だけでなく精神機能も抑制系の機能が重要な場面があるのではないかと考えています。特別の細胞の仕事も抑制系の機能とセットになってはじめて意義がある情報を伝えることができるのかもしれません。抑制系が機能しないことで精神症状が出現する可能性があると思います。
そこで私たちは脳が抑制課題にどれくらい反応できるかをさまざまな心理テストを用いて評価する研究をしています。たとえば精神疾患患者さんで多飲から水中毒を発症する方がおられます。水中毒は繰り返すことが多く、その病態が完全に解明されていない厄介な病態です。水は当然ですが、中毒物質ではありません。しかし多飲から低ナトリウム血症になり、脳浮腫から生命にかかわるけいれん発作を起こすことさえあります[3]。水中毒を繰り返す患者さんの脳機能を「最後通牒ゲーム(Ultimatum Game)」という経済ゲームで調べたら、水中毒の既往がある患者さんはこの経済ゲームでは勝利するのですが、不公平な提案も受け入れてしまうことが分かりました[4]。これは右背外側前頭前野の抑制系の機能低下が推測される結果です[5]。ひょっとしたら不必要な飲水行動を抑制する機能が低下しているのかもしれません。それ以外にも、現在はStroopテストなどを用いて、抑制系の機能の評価をさまざまな病態に対して行っています。今後はこれらの神経心理課題をNIRSなどの画像研究やホルモン濃度と比較する研究を行いたいと考えています。
(注釈1)並列分散処理(parallel distributed processing):たとえば通常のコンピューターは単一の中央処理ユニット(いわゆるCPU)が中心となり、直列(継時的)に情報処理を行っています。脳はコンピューターにたとえられることが多いですが、コンピューターのようにCPUが存在するのではなく、複数の分散された処理ユニットが同時並行的に情報処理を行っているのです。
文献
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Kret ME, Tomonaga M. Getting to the Bottom of Face Processing. Species-Specific Inversion Effects for Faces and Behinds in Humans and Chimpanzees (Pan Troglodytes). PLoS One. 2016;11(11):e0165357.
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Matsuyoshi D, Morita T, Kochiyama T, Tanabe HC, Sadato N, Kakigi R. Dissociable cortical pathways for qualitative and quantitative mechanisms in the face inversion effect. J Neurosci. 2015;35(10):4268-79.
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Nagamine T. Cerebral edema secondary to psychogenic polydipsia induced by tandospirone as add-on to olanzapine therapy. Clin Neuropsychopharmacol Ther. 2014;5:26-28.
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Nagamine T. ‘Ultimatum Game’ in a patient with psychogenic polydipsia. Int Med J. 2015;22(4):346.
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Nagamine T. Decrease in Reciprocal Fairness Feeling of Patients with Polydipsic Schizophrenia. Innov Clin Neurosci.2016;13(5-6):14-15.
腸内細菌叢へのアプローチは,精神疾患の治療につながるのか?
Is Gut Microbiota a New Target for Treating Mental Disorders?
腸内細菌叢を変化させると、精神症状が改善する可能性が動物実験で示されています。妊娠マウスに偽ウイルスを投与するmaternal immune activation(MIA)という手法で、生まれてきた仔マウスに精神症状(自閉症様症状)が出現します。この精神症状を示した仔マウスの消化管ではバリア機能が低下し、腸内細菌が産生する4-ethylphenylsulfate (4-EPS)が血中に増加していました。精神症状を示したマウスの腸内細菌叢に、マウスにとってのプロバイオティクスであるBacteroides fragilisを投与すると、消化管のバリア機能が改善し、4-EPSの血中濃度が低下するとともに精神症状が軽快しています[1]。精神疾患では、そもそも消化器系の不定愁訴の合併率が高いです。自閉症スペクトラムでの腹部不定愁訴が多いことが分かっています[2]。米国の報告ですが、統合失調症患者はセリアック病など腸の免疫疾患の合併率が高く、一部の症例ではグルテンフリー食で精神症状が改善しています[3]。しかしプロバイオティクスやプレバイオティクスが精神機能の改善につながるメカニズムはまったく分かっていません。
われわれは10年以上前から、精神科臨床で腸内細菌叢が精神症状と関連することを指摘してきました。便秘などの消化管機能障害を有する統合失調症患者にプロバイオティクスを投与した症例の中から、非常に稀ですが、精神科薬物療法の変更がないにも関わらず精神症状が著しく改善する症例を経験したからです[4]。それらの一部ですが、糞便細菌叢の遺伝子検査(注釈1)を行ってみました。その後も何例かで糞便細菌叢の遺伝子検査を行いましたが、精神症状が改善した症例の腸内細菌叢に一定のパターンがあるようには思われませんでした。つまり特定の善玉菌が増えることが精神症状の改善につながるのではなさそうです。たしかにプレバイオティクスやプロバイオティクスを投与すると、善玉菌であるBifidobacterium属は増加する傾向にありますが、それが精神症状の改善につながるほど劇的に増加したわけではありません。むしろ特徴的なのは特定の菌が増えるより、菌の種類が増加するように思われます。善玉菌の増加ではなく、腸内細菌の種類が増加し、腸内細菌叢の多様性が回復することが重要なのかもしれません。逆に言えば、腸内細菌叢の多様性が失われると精神機能に影響が出るのかもしれません。日和見菌の増加が精神症状改善に関与する可能性があるとして、そもそも日和見菌は何をしているのでしょうか。日和見菌は、いわゆる善玉菌が優勢で腸内環境が良いときはビタミン生成や病原菌の感染を防ぐ効果を示します。しかし腸内環境が悪化し、いわゆる悪玉菌が優勢になると、腐敗物質や発がん性物質を生成し有害性が出現します。さらには腸内環境が悪化すると免疫力低下から病原菌化して日和見菌感染を起こすことさえあります。腸内細菌叢が原因の敗血症であるbacterial translocationが、統合失調症患者で散見されるのは腸内細菌叢の多様性が失われ、dysbiosis(腸内細菌叢の乱れ)が存在する可能性を示しています[5]。
腸管から脳へ信号が伝わるとき、最初の関門は腸上皮細胞のバリア機能です。ですから今後の研究として、精神疾患患者の腸管のバリア機能の評価を行わなければなりません。腸上皮細胞間接着装置の一つであるtight junction形成に重要なclaudin遺伝子と精神疾患に関する研究では、アジア系民族でclaudin-5遺伝子多型が統合失調症発症と弱い関係が認められている[6]くらいで、実はほとんど分かっていません。腸内細菌叢、消化管機能、脳機能が何らかの情報伝達をしていることは間違いないです。細菌・腸脳軸(microbiota-gut-brain axis)を研究する必要があります[7]。
(注釈1)糞便細菌叢の遺伝子検査:腸内細菌叢は嫌気性菌が主体で、すべてを培養で検出することはできません。腸内細菌叢の60~70%は培養困難といわれています。そこで、細菌特有の16Sリボゾーム(r)RNAをターゲットとする分子生物学的手法である末端標識制限酵素断片多型分析法(Terminal Restriction Fragment Length Polymorphism:T-RFLP法)を用いて糞便細菌叢を検討します。具体的には、糞便を用いて16SrRNA遺伝子(16SrDNA)を増幅するプライマーの5’末端を蛍光標識し、糞便細菌叢DNAを増殖させます。次世代シークエンシング遺伝子解析装置を用いて、蛍光ラベルがついた末端制限断片を解析し、ヒト糞便微生物群プロファイリングに従って対応するOTU (Operational Taxonomic Unit)から腸内細菌叢の分類を行います。
文献
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Hsiao EY, McBride SW, Hsien S et al. Microbiota modulate behavioral and physiological abnormalities associated with neurodevelopmental disorders. Cell. 2013;155(7):1451-1463.
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Li Q, Zhou JM. The microbiota-gut-brain axis and its potential therapeutic role in autism spectrum disorder. Neuroscience. 2016;324:131-9.
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Jackson J, Eaton W, Cascella N et al. A gluten-free diet in people with schizophrenia and anti-tissue transglutaminase or anti-gliadin antibodies. Schizophr Res. 2012;140(1-3):262-3.
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Nagamine T, Sato N, Seo G. Probiotics Reduce Negative Symptoms of Schizophrenia: A Case Report. Int Med J.2012;19(1):72-73.
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Nagamine T. Bacterial Translocation in Schizophrenia; Gut Microbiota is a New Target for Treating Schizophrenia. Int Med J. 2015;22(5):444-445.
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Wu N, Zhang X, Jin S et al.: A weak association of the CLDN5 locus with schizophrenia in Chinese case-control samples. Psychiatry Res. 2010;178(1):223.
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長嶺敬彦,中村 優.精神疾患とバリア学.最新精神医学2016;21(1):73-78.